日本音楽学会中部支部 第123回定例研究会報告

日時:2018年(平成30年)7月21日(土) 13時30分~16時30分

場所:中京大学名古屋キャンパス544教室

司会:明木茂夫(中京大学)

〈研究発表〉

1. 森崎浩由(名古屋市立大学大学院芸術工学研究科)
「現代情報化社会における応用音楽についての研究」

2. 明木茂夫(中京大学)
「豊田市図書館蔵江戸期写本『律呂』に関する基礎的調査――安倍季良『山鳥秘要抄』との関係について」

〈特別講演〉

マルク・バティエ(ソルボンヌ大学名誉教授)
「デジタル音楽学の問題について」



【発表要旨】

現代情報化社会における応用音楽についての研究

森崎浩由(名古屋市立大学大学院芸術工学研究科)

 スマートフォンやインターネット環境など、現代社会ではさまざまな情報技術が発展しており、それに伴って音楽が応用されその形態が多様化している。 また、大学教育においても応用音楽学が設置されている。
 実用音楽は1920年代初頭にドイツを中心として起こった音楽思潮であり、聴衆の参加を目的とした限られた状況のために作られた音楽を指していた。 一方、「応用音楽」という用語は、20世紀前半と今日とでは異なる使い方をされているように思われる。
 山口修は音楽学を過去・現在・未来を扱うものの三種類に分割し、過去を歴史学的に扱うものを音楽史学、現在を比較学的に扱うものを比較音楽学、 未来を扱うものを応用音楽学と規定した。ここで「未来を扱う」とは、音楽がどうなるのかというような予測ではなく、社会との互恵性の観点から、 音楽学が音楽の未来に関して有益な提言をなすという意味においてである。
 この応用音楽学を理解する上でキーワードとなるのがホモ・ムジカントゥスと、ミュージッキングの二つの概念である。ホモ・ムジカントゥスは、 ジョン・ブラッキングの「人間の音楽性」を理解することがより良い社会を作るために必要不可欠である、という主張に則する形で提言された。 ミュージッキングは、ホモ・ムジカントゥスの概念を拡大したもので、クリストファー・スモールによって提唱された、音楽を演奏することや聴くことも 含めた音楽に関わるあらゆる行為を総括した語である。
 さらに山口は、超文化相対主義を提唱し、三つのトランス理論によって音楽実践を理論的に述べようと試みている。それは、「転位」、「脈絡変換」、 「変形」の三つである。「転位」は時空間を超えた再演や、構成の変化、「脈絡変換」は再演などが行われた状況のあらゆる差異はこれによるものとされ、 「変形」は楽曲・旋律の楽譜や録音メディアなどの別形態への変換を指す。
 応用音楽学は「あらゆる音楽に関わるあらゆる活動」が社会の中で増大されること、さまざまな音楽的活動がそれ自体で尊重されながら多様な形で 広がっていくことを目指している。つまり、「応用音楽」とは、社会における音楽全般が対象であり、音楽と社会の未来の関わりについて考察するもので あると言える。
 現代日本の大学での応用音楽学教育は、音楽そのものを変えていくことを目的とするものと、音楽を社会の実践フィールドに応用していくことを 目的とするものの二種類に大別することができるが、このいずれも山口が規定する「応用音楽」とは異なっている。
 山口の用語法を援用するならば、現代社会では、録音・配信や情報通信技術の発達によって音楽に大きな「脈絡変換」と「転位」が行われたと 言うことができる。
 音楽の本来的な現場はコンサートなどにおいて「今、ここで、特定の人」へ向けて鳴り響くものであるが、録音やインターネットを通じた広域への 配信によって音楽は「いつでも、ここで、特定の人」が楽しめるものとなり、「今、どこでも、不特定多数」が関与できるものとなった。さらに、 スマートフォンを利用したものに代表されるような、「いつでも、どこでも、不特定多数」が楽しめる形態へと変化した。
 一方、20世紀以降に登場して社会に浸透した通信・情報技術やAIやIoTを含む独自技術による芸術としての音作品において、「脈絡変換」、「転位」、 「変形」はどのように起こっていると言えるだろうか。情報技術によって音楽の「変形」が行われたものとしてはヤニス・クセナキスによる〈UPIC〉が 想起される。より近年の例としては、ライブコーディングを利用したものや、 一般の観覧者がインタラクティブ体験できるようなものに応用可能な 事例として、インスク・チョイによる〈Mutandrum〉、リョウ・フジモトらによる〈Humanelectro + Σ〉などが考えられる。これらは、20世紀後半に 広待ったサウンド・インスタレーションやサウンド・オブジェを、さらに広い社会実践へと応用する可能性を含んでおり、インターフェイス、 ハプティック・デザイン、人間工学の分野で開発された技術を、音を用いるパフォーマンス芸術や新しい演奏形態の音楽へと応用したものである。


豐田市圖書館藏江戸期寫本『律呂』に關する基礎的調査――安倍季良『山鳥秘要抄』との關係について

明木茂夫(中京大学)

 『豐田市立圖書館和裝本目録』(豐田市立圖書館1992)には一册の樂書が收録されてゐる。名を『律呂』とされるその寫本について、同目録は 「江戸末期寫、天保七年、安倍季長より鷹司政通へ傳授の寫」とする。しかし安倍季長(1358~1422)では時代が合はず、また序や跋に「季良」と あることから正しくは安倍季(すゑ)良(はる)(1775~1857)の撰たることは明らかである(天保七年は1836)。全六十四葉、271×196mm。題簽は無く、 封面にも書名の記載は無く、内題も無い。前掲和裝本目録がカッコ入りで(律呂)と記してゐるのはそのためであらう。本發表はこの寫本に關する基礎的な 調査報告である。
 江戸末期の雅樂家安倍季良の代表的著作としては『山鳥秘要抄』が擧げられるが、これは安倍家門外不出の書物であり、その概要は安倍季昌の著書 『雅樂篳篥 千年の秘傳』(たちばな出版2008)によるより外に現在知る術はない。同書によれば全三十六册、同書所?の目次には「古律、新律の事」 「古律、新律」「本朝音樂之部」など豐田本『律呂』に類似した條目が見えるため、『律呂』は『山鳥秘要抄』全三十六册の内の樂理部分の拔き書きでは ないかとの推測が可能である。そこで『山鳥秘要抄』の寫本であることを銘打った寫本、及び關連する題名を持つその他の寫本を探したところ、 本發表時點で未見のものを含めて以下のものが見つかった。
  國立國會圖書館所藏『山鳥秘要抄』(27cm)
  京都大學圖書館菊亭文庫所藏『山鳥秘要抄』
  東北大學圖書館平山文庫所藏『律呂抄』(26.4×18.4cm)
  靜嘉堂文庫所藏『山鳥秘要抄』(未見)
  金刀比羅宮所藏『山鳥秘要抄』(未見)
  多家所藏『山鳥秘要録中律呂之論』(未見)
  西尾市岩瀬文庫所藏『呂律反音事』(未見)
 この内國會圖書館本・京大本・東北大本を豐田本と比較したところ、文字に細かな異同はあるものの、基本的に本文が同一であった。安倍季昌によれば 安倍家所藏『山鳥秘要抄』原本は三十六册あるわけだが、ここに擧げたいずれの寫本もそれほどの分量はなく、やはり『山鳥秘要抄』の樂理部分のみを 拔き書きしたものだと見てよい。すなはち、『律呂抄』『山鳥秘要録中律呂之論』と書名を異にしつつも、これら寫本は安倍家所藏原本の同じ部分を寫して 一册としたものだと考へられる。
 ところで、この内特に東北大本は興味深い特徴を持つ。一見して影印では無いかと疑ったほどに、豐田本と文字が瓜二つなのである。國會圖書館本・ 京大本は別人の手であることが明らかなのであるが、豐田本と東北大本は寫本と言ふよりむしろ模寫と呼ぶべきほどに字體や字配り、そして筆の撥ねや 払ひまでがそっくりである。このことは、そこまでそっくりな寫本を作るに値する、權威ある底本があったこと、そしてそれはまぎれもなく安倍家所藏 『山鳥秘要抄』の原本であったことを想像させる。丁寧に書き込まれた朱筆注や文字の考訂、京大本には無い頭注なども考へ合はせれば、豐田本は 『山鳥秘要抄』樂理部分の信頼に足る寫本であると言へる。
 これら寫本の由來については、序に「弁覽のたよりにもと季資のためにしるしてあたえぬ」とあり、また第一の跋(和文)に「鷹司殿下政通公此律呂の 道をふかく御執心おハしまして」、さらに第二の跋(漢文)に「依有恩命入覽殿下鷹司殿之処」とあることを考へれば、まず季良の息子季資(すゑすけ)に 樂理を説くために書かれ、さらに關白鷹司政通に獻上したものであることが覗へる。そもそも安倍家本『山鳥秘要抄』には「未及清書」(未だ清書に及ばず) との巻があることから、元々別個の書物や日記等の資料を、清書しながらまとめて一つの書物としたものだと考へられる。その内特に樂理に関する部分を 拔き出して一册とした、もしくは元々一册だったものを『山鳥秘要抄』に收録するに?せて單独でも通行させた書物があり、それが『山鳥秘要抄』もしくは 『律呂抄』の名を以て書寫され、廣く讀まれたのであらう。そして豐田本はさうした寫本の一つだったと考へられるのである。
 さて本書に數多く引用される和漢の樂書について、第四條「律呂名儀両様に覺悟すべき事」の第一「六律六呂の事」には梁の崔靈恩撰『三禮義宗』が 引用されてゐる。しかしこの書物は佚書であり、季良の引く佚文は現在各種輯佚書やテキスト檢索によってもその出所が見當たらない。實はこれは 獨立した引用文ではなく、その直前に引かれてゐる『樂書要録』巻第六「紀律呂」に見える一段である。つまり「大戴禮曰……、律暦志曰……、 三禮義宗曰……」と續く『樂書要録』の本文の一部だったのだ。それなら通常の輯佚書で探せないのも當然である。どのやうな書物が引用されてゐるかは 撰者の知の體系にも繋がることであり、他の引書にも同樣の調査が必要である。今後は豐田本の文字校勘・翻刻と竝行して、 その律呂や調や反音の理論に進んで行きたいと考へてゐる。


【傍聴記】

特別講演「デジタル音楽学の問題について」傍聴記

黒田清子

 第123回定例研究会では、マルク・バティエ先生(prof. Marc Battierパリ・ソルボンヌ大学名誉教授)による特別講演「デジタル音楽学の問題について」 が行われた。講演内容をまとめることで傍聴記としたい。
 ソルボンヌ大学の音楽研究機関IReMus(Institut de Recherche en Musicologie)では、最近デジタル音楽学が問題となっている。人工知能が発達した 1960年代、コンピュータを研究に使う音楽情報処理学(Computational Musicology)が現れた。サイバネティクス(cybernetics人工頭脳学)研究の影響を 受け、コンピュータ科学が音楽学にツールをもたらすという期待から、1970年代コンピュータ支援音楽学(Computer-Assisted Musicology)となった。 今日ではコンピュータ操作をベースとしたデジタル人文学(Digital Humanities)が広く浸透している。まだ揺籃期にあり、どのように音楽学に 適合できるかが問題である。
 1960年代、大量の音楽作品を統計的に分析研究していた音楽情報処理学にはアルゴリズム研究がみられ、フランスの音楽学者マーク・シュミエールによる マグヌス・リンドべルイ(Magnus Lindberg,1958-)の和声進行の分析研究が挙げられる。
 1977年「人文学におけるコンピュータ支援研究Joseph Raben(Ed.)(1977) Computer-Assisted research in the Humanities:A Directory of Scholars Active. Pergamon Press.」が出版され、80の音楽に関する研究がリストアップされた。
 技術的な研究は、1968年にニューヨークで出版されたウェーベルン(Anton Webern1883-1945)の和声構造をスコアで研究したものがある。当時の コンピュータはCDC6400(1960年代Control Data Corporation製造のメインフレームコンピュータ)で、64Kのストレージと非常に大きなものだった。 研究者各自がプログラムを用意していた。音符を表現する唯一のスタンダードとして、MUSICⅣ、MUSICⅤ(MUSIC-Nシリーズ、ベル研究所で1957年以降 Max Vernon Mathewsが開発したデジタルオーディオを生成する世界初のプログラミング言語)が使われたが、非常に多くのデータを必要とした。また、 1960年代情報処理の音楽学として、ソ連のゾリホフ(Zaripov, Rudol’f Khafizovich(1963).Kibernetika I muzyka. Moscow: Znanie)が挙げられる。 一部PNMに載った(R. Kh. Zaripov and J. G. K. Russell(1969).Cybernetics and Music.Perspectives of New Music Vol. 7, No. 2, pp. 115-154)。
 MIR(Music Information Retrieval音楽情報検索)は、商業的で音楽学と直接関係ないように思われているが、ビッグデータを扱う時などに役立つ 可能性がある。
 Music Encoding音楽記号解読は、楽譜を機械が読める構造、単純な一行ずつの文字と数字の組み合わせにしなければいけない。MIDIはリニアな 記号解読となる。リニアな記号解読は音符に基づく音楽に採り入れられ、CMN(Common Musical Notation一般的音楽の記譜)と呼ばれる。例えば HUMDRUM TOOLKIT(音楽分析研究のためのソフトウェアツール、1980年代David Huronにより開発)がある。スタンフォード大学のMuseData (人文科学コンピュータ支援研究センターCCARHのプロジェクト、Walter Hewlett作成のデータベース)には非常に多くのエンコードされたスコアがある。  MusicXML(XML形式の楽譜表記のためのファイルフォーマット、Recordareにより開発)は楽譜作成ソフトに使用されている。
 電子音響音楽Electroacoustic musicは、楽譜もなく、視覚的表現もない。Annotation Graphical Representation記譜化のための図形表現はある。 1987年フィリップ・マヌリ(Philippe Manoury1952-)のジュピター(Jupiter for flute and live electronics,op.15a)ではフルートのフィンガリングを インターフェースによりコンピュータが認識し、フルートの楽譜をフォローできるようになった。これがScore following(ライブ音楽のパフォーマンスを 認識し、スコア内の位置を追跡するプロセス)のはじまりで、Mixed Music(楽器とエレクトロニクスを組み合わせた音楽)で使われている。
 ノーテーションの視覚化として、Acousmographe(電子音響音楽の分析と表現のためのツール、音響がもつ部分音をグラフ化して表示できる、 フランスGRMが開発)は、録音された音楽を形にしていく。例としてフランソワ・ベイル(Fran?ois Bayle1932-)の1995年の作品がある。音が 図形や色などで視覚化されているが、音楽学の視点からみると、ソルフェージュに基づかない、細部の音符が失われるなど、いくつかの問題が指摘できる。  いろいろなプログラムで音声を分析した結果をeAnalysis(インターフェースとツールを使って、グラフィック表現と分析方法を試すソフトウェア)に 入れることをしている。
 結論として、結局のところデジタル音楽学の妥当性というのは未だに問題が残る。結局のところデジタル音楽学は何かそれ以上に新しいものを もたらしているのか。
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