第112回例会報告

日本音楽学会中部支部 

日時:2014年(平成26)12月20日(土)13:30~16:30
名古屋芸術大学 東キャンパス 5号館301教室


司会:水野みか子

【研究発表】
 杉山 怜(愛知県立芸術大学大学院博士後期課程):「ロシア時代のイヴァン・ヴィシュネグラツキー -1916年の2つの論考を中心に」
 白石 朝子:「アンリ・ジル=マルシェックスの功績-4度の来日(1925-1937)における活動をもとに」

【研究報告】
 籾山 陽子:「作曲当時の発音での《メサイア》試奏会」 

【国際学会報告】
 水野 みか子(名古屋市立大学):「電子音響音楽に関する二つの国際学会報告」

【研究報告演奏】
 丹下 聡子:「アルテスの導音の演奏法による実演――ルブラン作曲オペラ・コミック《ナイチンゲール》劇中のフルートによるカデンツァ」



【発表要旨】

杉山 怜(愛知県立芸術大学大学院博士後期課程)

ロシア時代のイヴァン・ヴィシュネグラツキー ―1916年の2つの論考を中心に

 イヴァン・ヴィシュネグラツキー Ivan Wyschnegradsky(1893-1979)は、微分音を用いた作品を作曲した作曲家である。1893年にサンクトペテルブルクで生まれたヴィシュネグラツキーは、1920年にパリへ渡るまでの27年間をロシアで過ごした。彼はこのロシア時代に、作品の作曲とともに、多く論考をまとめている。本発表では、ヴィシュネグラツキーの初期の論考である、「真の形而上学 La vraie métaphysique」(1916年5月)と、「古い芸術と新しい芸術と超芸術について Sur l'art ancien et nouveau et le surart」(1916年10月)をもとにして、当時のヴィシュネグラツキーが考えていた概念や思想について考察した。
 哲学的な内容の論考である「真の形而上学」では、ヴィシュネグラツキーが、“自己の存在”、“非自己の存在”、“自己の思考の論理的な法則の存在”という3点を自身の哲学の出発点とし、この“自己”と“非自己”にもとづく世界の二元論の概念とは異なる、多元論の概念や一元論の概念について考察している。この論考では、彼が世界の一元論的な概念について関心を寄せ、論理的な哲学のもとに一元論の世界を構想していたことが明らかになった。
 芸術に関する論考「古い芸術と新しい芸術と超芸術について」では、将来の芸術のあり方について模索しており、美術や音楽といった芸術のジャンルが個々に専門化していくことを批判し、それらの総合を目指すべきであると考えている。そしてその総合は、芸術のジャンルとしての総合ではなく、スクリャービンを受け継ぐような、人間の知覚の総合である“芸術の感覚の総合”を目指すべきであると考えている。ヴィシュネグラツキーは、この総合が目指す先に超芸術と呼ぶものを想定し、そのとき音楽は緻密になり、四分音や八分音などが現れるだろうと考えていることが明らかになった。
 これらから、ヴィシュネグラツキーは、1916年10月までに、哲学的で論理的な思考のもとに、すべてが統一された一元論の世界を構想しており、芸術の面では、スクリャービンの影響を受けて、人間の知覚の感覚の総合を目指し、未来の芸術を超芸術として、その基礎となる新しい音楽には微分音が用いられることになるだろうと考えていることが明らかとなった。
 今後は、超芸術の概念が、以後どのように移り変わっていくかを明らかにし、視覚と聴覚の総合をヴィシュネグラツキーはどのように実践していったのかを明らかにすることを課題としたい。



白石 朝子

アンリ・ジル=マルシェックスの功績-4度の来日(1925-1937)における活動をもとに

 アンリ・ジル=マルシェックス(Henri Gil-Marchex 1894-1970)は、1911年にパリ音楽院卒業後ヨーロッパを中心に活躍したフランス人ピアニストである。彼は1925年、31年(2回)、37年に来日し、演奏会やレクチャー・コンサートを開催したほか、日本音楽研究を行った。例会では、発表者が2013年度に愛知県立芸術大学大学院へ提出した博士論文『アンリ・ジル=マルシェックスによる日仏文化交流の試み―4度の来日(1925-1937)における音楽活動と日本音楽研究をもとに―』と、2014年11月1日に開催した演奏会『白石朝子 ピアノ・リサイタル―アンリ・ジル=マルシェックスの功績をたたえて』の内容に基づいて構成し、最後にジル=マルシェックス作曲〈出雲の秋月〉を演奏した。
 博士論文では、彼の4度の来日に焦点を当て彼の音楽活動と日本音楽研究を詳細に検証し、1925年の初来日を機に始まったフランス音楽の紹介と、それに伴って発展した日仏文化交流について明らかにした。目次は以下の通りである。

序論
第1章 ジル=マルシェックスの経歴と彼の来日以前の日本における西洋音楽受容の状況
第2章 1925(大正14)年の日本滞在における音楽活動
    ―フランス・ピアニズムによる日本初演とその反響
第3章 1931(昭和6)年-32(昭和7)年の日本滞在における音楽活動
    ―レクチャー・コンサートと松平頼則、須永克己への影響
第4章 1937(昭和12)年の日本滞在における音楽活動
    ―日本の作曲界との交流による活動
第5章 4回の来日(1925-1937)年における日本音楽研究
    ―9本の論文とレクチャー・コンサート、作品発表
結論
資料編(公演内容)
1.1925年の日本滞在における音楽活動
2.1931年-32年の日本滞在における音楽活動
3.1937年の日本滞在における音楽活動

また、ピアノ・リサイタルのプログラムは、下記の通りであった。

F.クープラン:〈神秘的なバリケード〉〈翻るバヴォレ〉
J.P.ラモー:《ガヴォットと6つの変奏》
M.ラヴェル:《高雅で感傷的なワルツ》
大澤壽人:《丁丑春三題》
H.ジル=マルシェクス:〈出雲の秋月〉《古き日本の二つの映像》より
M.ラヴェル:《クープランの墓》
アンコール M.ラヴェル:《ハイドンの名によるメヌエット》
C.ドビュッシー:〈月の光〉

 ジル=マルシェックスは生前「フランスの古典音楽を理解することで、近代のフランス音楽を味わうことができる」というスタンスを大切にしていた。今回のリサイタルもそれにならい、フランス・バロックの作品と、古典的な形式の上に独自の世界を築いたラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)の作品を演奏し、フランス音楽の魅力を伝えることを念頭に置いた。そして彼自身の作品と、彼の知友である日本人作曲家、大澤壽人(1907-1953)の作品の演奏を通して、日仏の感性の融合を示した。また会場では、沼辺信一氏の資料提供及び展示協力によりロビー展示を行い、出品リストを配布した。展示した資料は、1925年帝国ホテルの演奏会プログラム冊子や1931年音楽解釈についての講座(全5回)広報用冊子及びジル=マルシェックス作曲作品の楽譜、執筆論文などである。
 ジル=マルシェックスは当時ドイツ音楽偏重であった日本の音楽界にフランス音楽を普及させ、日本の聴衆に様々な切り口から西洋音楽史を講じて演奏を聴かせた。1931年以降の来日における彼の活動は、全国各地の大学などで行ったレクチャー・コンサートを中心とした音楽活動によって特徴づけられる。特に、1931年の東京と大阪での5日間のレクチャー・コンサートは、コルトー(Alfred Denis Cortot 1877-1962)の委嘱によってエコール・ノルマル音楽院で行われたものに基づいており、『描写的作品の解釈』など5つのテーマにより構成された。そしてジル=マルシェックスは1937年来日時には日本人作曲家と協力して活動を行い、現代作曲家連盟の演奏会に助演して清瀬保二、江文也(1910-1983)、池内友次郎(1906-1991)の作品を演奏した。また日仏音楽同好会の設立に携わり、フランスと日本の作曲家の関係を深めようと試みた。その一方で彼は全4回の来日を通して日本音楽研究を行い、初来日後の1927年から1939年の間に日本音楽研究に関する9本の論文を日仏の雑誌に寄稿した。さらに彼は、1937年に国際文化振興会の支援によってアジアの国々でも日本音楽に関する講演を行っている。彼の日本音楽研究に関する執筆や講演、作曲作品はフランスで報道され、彼は日本音楽研究者の一人としても認識されていった。またパリにおいても、彼は外山道子(1913-2006)にピアノのレッスンを行い、大澤壽人の作品を世界初演して大澤の楽壇デビューを成功させている。
 これらのことからジル=マルシェックスは単なる来日演奏家ではなく、長期にわたり日本の音楽家の活動を支え、フランスへ日本音楽を伝えることで日仏文化交流において重要な役割を果たしたといえる。今後の研究課題としては、彼の1938年以降の足跡や、日本、フランス以外の地での活動に関する調査、政治的歴史的背景についての時代考証が挙げられる。また、ジル=マルシェックス作曲作品の演奏にも試みていきたい。



籾山 陽子

作曲当時の発音での《メサイア》試奏会

 ヘンデル《メサイア》の歌詞については、当時英語の発音が変化の途上にあったため、作曲時にヘンデルが想定していた発音とその後の人々の発音の認識とが異なる場合がある。では、作曲当時の発音で演奏すると実際にどのような音になるのか。
 2013年11月の日本音楽学会全国大会での研究発表の際に、ある神奈川県在住の音楽家の方から、発表で提示した、ヘンデルが作曲時に想定していた発音について、実践してみたいと申し出を受けた。そこで、発音を記した《メサイア》のうち2曲の楽譜と、発音の手引きを提供し、実践の様子をメールや電話で報告してもらい、また当方から指示するという形で、翌12月から約3か月間遣り取りを続けた。この実践では先方の興味のある視点からしか検討できない等の問題点が浮上し、当方で企画し、直接演奏に立ち会い発音の指導をし、実際の演奏を聴いて論じるべきだという課題が得られた。
 これを踏まえて、神奈川の実践に1度参加してくれた丹下聡子氏と共に、《メサイア》の合唱の試奏会を計画した。実施は2014年9月27日(土)10:00~16:00、愛知県立芸大奏楽堂において行われた。指揮は丹下氏、パイプオルガンは深堀彩香氏、録音は平田耕一氏にお願いし、発表者は発音指導・演奏に対する助言と録音の確認を担当した。
 ヘンデルによる演奏の合唱メンバーが20数名であったことを参考に、発音を確認しやすいよう各パート2~4名を、愛知県立芸大の学生から募集した。固有のスタイルのない、声楽科以外の学生に限定し、ソプラノ2名(作曲1年、音楽学2年)、アルト3名(管打楽器3年(2名)、音楽学1年)、テノール2名(作曲4年、管打楽器4年)、バス3名(作曲1年(3名))の10名が集まった。10名のうち質問に回答してくれた6名は合唱の経験はあるが《メサイア》の合唱は初めて(うちオーケストラでの経験のある者2名)ということであった。実施に先立ち、《メサイア》の合唱曲から8曲選び、発音記号を記した楽譜と発音の手引きを参加予定者に渡して、譜読みをしておくよう伝えた。
 当日、まず〈Hallelujah!〉について発音の解説をした後演奏してもらったが、譜読みができていなかったので1時間ほどパート練習をした。その後、発音の修正などコメントしながら全体練習をした後、2回録音を行った。昼食後、〈And the Glory〉についても、パートに分かれて練習後、集合して、発音の修正ならびに全体練習をした後、3回録音を行い、日程を終了した。
演奏に際して、現代と異なる発音として例えば以下のような点を説明した。
  ①Hallelujahやhe、his、hasなどのhは発音せず、息を出すだけにする。
  ②reignethのei、spokenのoは二重母音でなく単母音。revealedのeaは現代の発音より舌の位置が低い。
  ③Hallelujah, Hallelujah、glory ofの語の連続はイタリア歌曲の連声の技法を用いる。
 演奏は熟れたものではなかったが、全体的に柔らかく豊かな印象を受けた。特に、hを発音しないことが伸びやかな発声に繋がり、舌の位置が低いことで豊かな響きが得られ、連声の技法により柔らかく滑らかな流れを生むことが確認できた。学生は「時にまろやかになったり、時に深く掘り下げるようになったりと曲の雰囲気も変わっていた」「合唱の響きから受ける印象が違ってとても面白かった」「昔の発音はより自然に歌うことができ、作曲者が作曲するにあたっての配慮を垣間見ることが出来た」などと感想を述べていた。
 さて、《メサイア》では、ヘンデルの歌詞付けに対して、弟子や出版者や研究者がそれぞれの解釈で修正を行っている。例えば、〈And with His stripes〉では、ヘンデルが語を長く伸ばすよう書いている部分の途中に、弟子のスミスが語を挿入しフレーズを区切っている箇所がある。〈The trumpet shall sound〉では、後の研究者により語が挿入された上に4分音符1個が8分音符2個に分割されるなどしている。その他の曲でも、弟子や後の人々が単語や音符を追加している部分が見受けられ、後世の解釈に比べて、フレーズを切らずに長く滑らかに演奏したいというヘンデルの意図が読み取れる。
 今回の試奏会によると、発音についても、ヘンデルの想定は後の人々の解釈より滑らかで伸びやかなものであり、ヘンデルの歌詞付けの意図にも合致していることが明らかとなった。即ち、ヘンデルが想定していた演奏は、歌詞付けと発音が相俟って、後世の解釈・演奏に比べてかなり滑らかで伸びやかなものだったのである。
 なお、今回、一回の試奏会で演奏できる曲数が限られること、言葉の意味の理解までは難しいこと、音楽的な完成度が低く、編成も小さく実際の演奏の再現には程遠いこと等の課題が得られた。
 今後の展望としては、《メサイア》全体としての状況を把握するために、今回と同様の試奏会を2015年2月に行う予定である。また、アリアなどのソロについては別の機会に声楽科の学生に演奏してもらうべく、愛知県立芸大の声楽科の教員に依頼をしている。歌手により言葉や発音が異なる曲があり、新たな知見を得ることが期待される。さらには《メサイア》の内容を理解して演奏している小規模の団体に試してもらう機会を得たいと考えている。



水野 みか子(名古屋市立大学)

電子音響音楽に関する二つの国際学会報告

 EMS (Electroacoustic Music Studies)の2014年大会は、ベルリン芸術大学を会場に6月10〜14日の会期で開催された。今回のホストは会場となったベルリン芸術大学だけではなく、ベルリン工科大学、ベルリン自由大学も連携協力していたのであり、結果として、音楽学に関するベルリンの主要大学三校すべてが運営に携わる大規模な大会となった。とはいえ、参加人数は例年どおりほぼ1005名程度だったのであり、音楽祭や芸術祭など大会以外の催しと連動していたわけでもない。ただし、フォルカー・シュトレーベルやマルティン・ズッペルら開催地ドイツの主要学者が参加しただけでなく、ジョン・ダック、サイモン・エマーソン、ミラー・パケット、バリー・トゥルアックス、ミシェル・モルト、そしてステアリング・メンバーとしてのマルク・バティエ、リー・ランディ、ダニエル・テルッジら電子音響音楽研究のキーパーソンがこぞって参加していた。この点で、前年のリスボン大会に比べて一層の充実感があった。
 基調講演を行ったのは、分析研究の泰斗ヘルガ・デ・ラ・モッテ=ハーバーと、MAXやPureData という、現在最も多くの教育機関で教えられている音楽プログラムの開発者ミラー・パケットであった。デ・ラ・モッテ=ハーバーの講演は、ドイツのサウンド・アートの事例を挙げながら音の空間論を展開する論法をとった。パケットの講演は、プログラムのデモンストレーションをパフォーマティヴに展開する、いつもの彼流のスタイルではなく、「音楽のためのプログラムとは何か」という問題に関する、きわめて哲学的な省察を開陳するものであった。
 今大会では、これまでにあまり議論されてこなかった新しい着眼点での研究や報告が多くみられた。北欧の電子音響音楽史、ドイツの音響芸術家に関する研究、音楽・音響の美的空間論、GRMのガムラン音響研究、ヴォイス・パフォーマンスによる《一人の男のための交響曲》の実施報告、Ircam系の種々ソフトウェアとの連携を実現した分析表示ソフトEAnalysis、ハンス・ツチュク研究、といった発表は、この分野の研究対象がすでに第二世代(第一世代をシェフェール、シュトックハウゼン、ブーレーズ、クセナキスとする)に入っていることを示唆する。
 筆者は2008年のEMSパリ大会以来、1回を除く全ての大会で発表してきた。今大会の統一テーマは「コンサート・パフォーマンスを越える電子音響音楽」であり、EMS の中では毎回アジアからの発表者には自国の電子音響音楽を対象とする報告を求められるということもあって、今回の筆者の発表では、日本のサウンド・パフォーマンスの二つの例(鈴木昭男とフォルマント兄弟)をとりあげ、彼らの理念と、社会との接点における(聴覚以外の)センスについて考察をした。発表後、フォルマント兄弟の《Ordering a Pizza de Brothers》の「笑い」のセンスと音楽の関係に関していくつもの質問をいただき、欧米とは異なる「一風変わった今日の日本的センス」への関心の高さを確認することができた。
 EMSAN(Electroacoustic Music Studies Asia Network)は、毎年10月末に北京の中央音楽学院で開催されてきた。この時期に中央音楽学院で一週間開催される電子音響音楽祭Musicacousticaの会期中のうち、一日が研究会に当てられるというものである。参加者は、例年、アジアの電子音響音楽を対象にする研究者10名前後であり、今回(2014年10月24日)は、カナダ1名、フランス1名のほか、北京から3名、台湾から3名、日本から1名の、計9名であった。国際会議というより研究会というほうがふさわしいような小さな会ではあるが、2006年以来8回の会議が重ねられてきたのであり、2015年には日本(岐阜県)での開催が決まっている。
 ここでは、参加者各人が、出版や研究、ソフト開発などについてプロジェクト報告を行い、研究交流を行うのが主目的である。これまでEMSANでの研究交流を土台にして、アジア電子音響音楽データベースの構築・公開(http://www.um3323.paris-sorbonne.fr/EMSAN)と2回のネットワークコンサート実施という成果を上げた。ネットワークコンサートは、北京、カルガリー、ワイカト、名古屋、桃園(台湾)を高速音声通信で結んでライヴ・パフオーマンスを行うものであり、EMSANは遠隔地通信の経験を積み重ねてコンサート進行マネージのための特別な仕様も導き出した。
 EMSANの継続的課題は、たとえば、コンピュータ音楽の特殊用語のアジア各国語への翻訳であり、また、欧米語によるアジア電子音響音楽史の執筆である。今回の会議では、台湾の大学院生二人が各自のプロジェクトについて発表した。学生の発表は、専門領域での学術的貢献度はたしかに高くはないが、この分野の教育については参考になる点が多かった。台湾では主に理工系大学で電子音響音楽が教育されているので、メディア芸術の技術開発が研究の主流である。中国では芸術大学で教育されているので、音楽史や美学の脈絡で作品が分析される。いずれにせよ理工系の研究と音楽学がどのように融合していくか各国様々であり、EMSANのような小規模研究会での研究・教育交流は情報収集にとって非常に有効である。



丹下 聡子

アルテスの導音の演奏法による実演――ルブラン作曲オペラ・コミック《ナイチンゲール》劇中のフルートによるカデンツァ

 アンリ・アルテス(1826 - 1895)は19世紀のフランスで活躍したフルート奏者・作曲家で、パリ音楽院フルート科の教授、パリ・オペラ座オーケストラの首席奏者を務めた。1880年に出版された彼のフルート教本『音楽の完全な理論を含むベーム・システム・フルートのための教本』(全3巻)は、1847年型ベーム式フルートを演奏するための教本で、現在も初心者向けの教本として広く使用されている。この中に書かれている導音のための指使いの項目に着目し、この指使いを用いて演奏することでアルテスの演奏習慣を推定することができると考えられる。本報告では、アルテス自身が書いた楽譜をもとに、この指使いを用いた演奏法の実演を試みることを目的とした。
 楽譜は、フランス国立図書館に所蔵されている『ダンタン(息子)による1835年から1869年の音楽コレクションアルバム』の中の一枚で、アルテスによる自筆譜を使用した。この作品は、ルイ=セバスチャン・ルブラン作曲のオペラ=コミック(全1幕)《ナイチンゲール》の第一場最後に演奏されるカデンツァであり、1950年に演奏されたものである。
 19世紀前半、フランスのフルート奏者は導音を高めに演奏する習慣があり、そのために替え指を使っていた。その頃フルートを吹き始めたアルテスも導音のための指使いを用いることが普通だったために、彼がベーム式フルートを演奏するようになってからも、その指使いを用いて演奏する習慣があったと考えられる。アルテスの教本に書かれている導音のための指使いを使用する箇所は、2つの主音に挟まれた導音と、Cis³である。特にCis³についてアルテスは、同質の音を得るために上行・下行どちらの時も使用するように奨めている。これらの音を楽譜の中から取り上げ、アルテスの導音のための指使いを用いた実演を行うことで、当時の演奏習慣を推定した実演を行った。