第61回例会報告


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日時:10月2日(土)14:30〜17:30
会場:名古屋音楽大学 C号館 C202講義室


【研究発表】

 
 A 作品の成立と演奏
 1 楽曲イメージ奏法について犬飼英子(愛知教育大学卒)
 2 ハープ音楽に大きな影響を与えた作品 〜A.Jolivet「ハープと室内楽のための協奏曲」より

岡島朱利(ハープ奏者、東京藝術大学大学院修)
 B タイ、ラオスのフィールド・ワークから馬場雄司(三重県立看護大学)

【研究発表から】


タイ・ラオスのフィールド・ワークから

三重県立看護大学  馬場雄司


 報告者は今日まで、タイ系民族タイ・ルーの文化について研究を進めてきた。今回は、1990年以降、しばしば訪れているタイ北部・ナーン県のタイ・ルー村落の事例と、1999年9月に訪れたラオス西北部のタイ・ルー分布地域の事例を紹介しつつ、現在、文化人類学を専門とする報告者の、音楽研究への関わりを考えてみたい。
 報告者は、かつて、様々な儀礼で歌う歌の専門家チャーン・カプに関心をよせていた。主要調査地、ナーン県ターワンパー郡の場合、チャーンカプは、3年に1度の守護霊儀礼以外、活動の機会が減少し後継者もなくなっていた。80年代後半の高度経済成長を経て、1990年、儀礼は観光化し、カプ・ルー(タイ・ルー民俗歌謡)の形態も変化した。チャーンピー(笛の伴奏者)及びチャーンカプ1人が死亡し、残った者も高齢化によって歌えなくなった。このような状況の中、3か村が合同で行ってきたこの儀礼が2か所に分裂した。儀礼場のある村中心の村おこし的様相を帯びて以後、儀礼をめぐる考え方や利益に関する対立が生じたのである。結果、他村を訪れ、歌の掛け合いをするチャーンカプの役割は失われた。かわって、婦人会のカプ・ルーが登場したが、神を呼ぶかつての歌から村落の発展を祈る歌へと変化している。
 チャーンカプ、カプ・ルーの衰退と共に、儀礼において、様々な音楽的パフォーマンスが登場した。北部タイ伝統舞踊の他、東北タイの舞踊や、果ては園児によるキティちゃんの踊り、高校生のディスコダンスなどが現れる。これは、「村のステージ」の登場とともに現れたもので、美人コンテスト、美老女コンテスト、喉自慢大会(多くが流行歌)、村人のシナリオによるコメディなどの様々な出し物と同時に現れたものである。
 カプ・ルーは衰退したが、その一方で、老人になって始めて興味をもち覚えたという人々もいる。そして若者は全体としては流行のポップスを志向している。この点だけをみると、社会の変化によって新たな文化の流入により、若者のポップス志向と老人の伝統志向とに分化したかのようである。しかしながら、先述の村のステージには、こうした単純な図式では捉えられない村人の様々な音楽への志向性が伺われる。
 「伝統の衰退とその復興・継承への努力」は様々な地域で見出されるテーマである。タイにおいても、国家文化委員会の重要な課題であり、ナーン県では、北タイ民俗音楽の伝承が老人の役割として奨励されている。老人による若者への伝統文化の継承はまた、平均寿命の延びたタイにおいて、老人の生きがいと健康にもつながるものとして厚生省の奨励するところでもある。このように、一方では、政策による伝統文化継承の努力・試みがなされているが、人々のオリエントは、伝統文化の衰退→現代文化の浸透→伝統文化復興保存という単純な図式を超えてしたたかである。近年儀礼に登場した村のステージは、人々が何を楽しみ、何を欲しているのかの現在をみる格好の空間ともいえる。(厚生省の健康指導は同時に、農村婦人会にエアロビック・ダンスを奨励し、バックミュージックとして現代のタイ・ポップスや西洋のポップスが浸透させている。)
 ラオス西北部ムアンシンは、冷戦時代に国境を閉ざして以来、外来文化の受容が少なかったが、ここ数年、観光客を受け入れ、タイ・ポップスや西洋のポップスのカセットが市場でみられるようになった。タイ・ルーが多数を占めるこの地では、カプ・ルーなど伝統音楽も生きているが、30歳以下は、タイ・ポップスや西洋ポップス志向であるという。しかしながら、現地博物館関係者は、外来文化や観光客に対する開放的姿勢の影で文化政策の立ち遅れを指摘する。豊富な名所・旧跡、音楽・芸能を含めた文化遺産についての保護・保存への指針・予算が不十分で、観光客に対する説明も不足であり、観光客は山地の阿片に興味を示しがちである。政府の開発政策では、山地民にケシの代替作物を奨励する方針だが、観光政策・文化政策との共同歩調がみられず、矛盾した結果を生んでいる。観光客を阿片から文化遺産に目を転じさせるためにも文化保護政策の充実が必要であり、そのことが現地の若者にも伝統文化に関心をもたせることになる、というのである。しかしながら、こうした行政レベルの指針が軌道に乗ったその先には、タイでみたような人々の様々なオリエントが錯綜する状況が存在すると予想される。
 市場経済の浸透と共に急激に様々な形で外部の文化が浸透したこれらの地域では、「伝統文化の保存」に対する現地の目は様々である。「伝統文化の保存」は実際「伝統文化の再編」であり、文化を現実の状況に合わせて描きなおす行為である。ここには、誰がどういう立場でその文化を描こうとしているのか、そしてそれは誰のそして何のためなのか、という問題が、様々な利害を伴って存在している。調査者も様々な外部の一つにすぎないのであり、「その存在が伝統文化を変えてしまう」(かつていわれたような)という牧歌的な思い入れは、自らの過大評価であり不遜でさえある。こうした状況においては、調査者は、単純に「消え行く伝統文化を記述する」ことを使命とすればよいのではない。政策を通じた保存への動きのかたわらで、娯楽を通じて垣間見られる人々の自然なオリエントは、伝統音楽とかポップスとかいう言葉ではとらえられない。調査者は、虚心にその流れをみつめつつ、自らのスタンスを考えていくことが要求される。そうした位置に立って、音楽と変化する社会の様々な要因との相互連関性を問い、同時に、伝統音楽研究やポップス研究の枠組みで捉えられない、人々の有象無象の娯楽の場自体を見つめてみたい。そしてその中に、変化しつつある社会における音楽研究の可能性を考えてみたいと思う。

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